91 着物のデザイン Gritter

男と着物 - 回想録 -

投稿者:ウエダテツヤ

(つづき)Gritterは輝くGlitterと方眼のGridを合わせた造語だ。輝くというのはラメが入っているところから由来するのだけれど、一方のGridは大島紬の設計図に方眼紙を用いるところからヒントを得て、デザイン、設計という意味を込めてGlitterのLをRにしている。私にとって素材の選定を含め「デザインする」ということは大きなテーマだった。初めての発表は2015年になる。

大島紬の専門だった当社はKimono Factory nono発表直後から綿生地を企画製品化してきたが、それまではシンプルなものばかりで、「織で柄を出す」いわゆる綿のジャカードは未知のものだった。洋服用のサンプルを見て、着物生地にできるのではないかと思い、何度かの試作を経て製品化することにした。

「織で柄を出す」ということは必然的にデザインが必要である。複雑なデザインを織で表現する大島紬の世界と共通するものもあったのだけれど大島紬の原図デザイナーに依頼しなかったのはコスト面や新しい素材という理由に加え、未知のものへの「やってみたい欲」のようなものが私の中にあったことが大きかった。また、大島紬の制約とは異なることやデザイン画自体をデジタルで描かなくてはならないことも要因だった。

こうして始まった生地のデザイン。意気揚々と出発したものの、すぐに発想は枯渇し時には製造元のデザインなども頼りつつ、それでも想像以上の険しい道となった。やるほどに上達し効率化が図れたか、というと全くそれがなく乾いたスポンジから水を絞り出すようなもので、その度に世の中のデザイナーの凄さを実感していた。ピクニックやハイキングのようにはいかず、険しい道を行き何とか辿り着いた旅人の様に、しかし到達した喜びが少ないのは目的が柄の創出ではないからだろう。

終わるたびに「もうやりたくない」「もう出尽くした」と思い、当分の間何かに浸って戻さないといけない乾燥した海藻のような心境だったけれど、そんな中で背中を押してくれたのは前々回投稿にある先輩の「描きたいように描けばいい」という言葉だった。

特にはじめの方は「デザイン画を描こう」としていたのだけれど、それらを重ねていくうちに「描く」ということが「着たい」というものとリンクし「着たいものを描く」というようになった。

また、企画も含めて「つくる」と「着る」がシンクロしてくるに従って、自分の着たいものを掘り下げなければならなくなった。丁度着ることについても色んな考えが巡って迷走していた時期で「着たいものとは何か」をずっと考えていたし、今でもそればかり考えるので、自分をアップデートしない限り枯渇した発想はそのままになってしまうように思う。

だから「着たいもの」がぼんやりとしている間に考えるデザインはしっくり来ず、製品化を断念する年もよくある。「今までの柄以上は無理や」と思ってしまうのである。だから私はデザイナーではないし、自分にとても影響される。

「描きたいものを描く」。迷う時にいつも浮かぶ言葉だ。描きたいものは着たいもので、着たいものは毎年毎年湧きあがらないこともあって、それで新作が出せないことになるので非常に申し訳ないと感じるのだけれど、これからも着たいものを考えたいと思っている。