京を歩く

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寄稿144(終) 哲学の道を歩く/ 京を歩く

寄稿者:橋本繁美 編集:枡儀 「哲学の道」とは、京都帝国大学の西田幾多郎(きたろう)、河上肇(はじめ)、田辺元(はじめ)らの哲学者が琵琶湖疎水に沿う小道を散策したことで呼ばれるようになった。春は桜、秋は紅葉、もちろん夏も冬も心落ち着く散策路...
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寄稿143 十条東寺でとどめさす/ 京を歩く

寄稿者:橋本繁美 編集:枡儀 京の東西の通り名を歌った『丸竹夷』。実際、東寺は平安京の九条大路にあたる九条通大宮にある。かつては都の正門であった羅城門がもう少し西に行ったところに建っていた。いまは公園のなかにその跡をとどめている。北の大極殿...
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寄稿142 塩小路通と木津屋橋通/ 京を歩く

寄稿者:橋本繁美 編集:枡儀 塩小路通といえば、京都駅北口を出た最初の東西道路。目のまえにはローソクタワー(京都タワー)が今やランドマークになっている。かつては近鉄百貨店(旧丸物百貨店)で賑わったところあたり。ホテルグランヴィア京都、京都中...
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寄稿141 平安京の七条大路/ 京を歩く

寄稿者:橋本繁美 編集:枡儀 七条通といえば、東大路通(東山七条)の真言宗智山派総本山智積院から始まる。近くには京女(京都女子学園)があり、同級生も通っていた関係で「おんな坂」として覚えた記憶がある。そして、国博(京都国立博物館)や三十三間...
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寄稿140 花屋が見当たらない花屋町通/ 京を歩く

寄稿者:橋本繁美 編集:枡儀 西本願寺の北側に通る花屋町通。堀川通を東に渡り、東本願寺までは花屋町通と旧花屋町通の二つに分かれる。両通りとも仏事に必要なものならなんでも揃う仏具屋町といえる。 寛永14年(1637)の『洛中図絵』にはすでに「...
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寄稿139 東西の本願寺をつなぐ六条通/ 京を歩く

寄稿者:橋本繁美 編集:枡儀 一条 戻橋(もどりばし) 二条 生薬屋(きぐすりや) 三条 みやす針(みやすはり) 四条 芝居(しばい) 五条 橋弁慶(はしべんけい) 六条 本願寺(ほんがんじ) こんな京の数え唄があるように、六条通は東西の本...
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寄稿138 五条通は市内最大の東西路線/ 京を歩く

寄稿者:橋本繁美 編集:枡儀 道幅が50メートルもある五条通。五条坂に始まり、西は西京極球場、京都市スポーツセンターを過ぎた桂川西大橋まで。毎年1月に開催される全国女子駅伝でテレビ中継されるのでおなじみかもしれない。この五条通は国道9号線と...
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寄稿137 平安京の樋口小路にあたる万寿寺通/ 京を歩く

寄稿者:橋本繁美 松原通と五条通の間を東西に走る細い道が万寿寺通。東は寺町通と河原町通が合流するところから、西は佐井西通まで。車は東行きの一方通行のため、個人的には渋滞時の抜け道として使っている。西洞院通から烏丸に向いて歩いてみると、寺院関...
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寄稿136 もともとは五条大橋だった松原通/ 京を歩く

寄稿者:橋本繁美 編集:枡儀 現在の松原通は、その昔は五条通だった。五条通から松原通に変わったのは、豊臣秀吉が東山大仏殿を造営したとき、六条坊門小路(現五条通)の鴨川に橋がなかったため、天正18年(1590)五条大橋を六条坊門に移してしまっ...
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寄稿135 文句ぶつぶつ、佛光寺/ 京を歩く

寄稿者:橋本繁美 真宗佛光寺派本山佛光寺が現在地(下京区高倉通仏光寺下ル新開町)に移転して以来の通り名になったと聞く。ここは春になると赤い枝垂れ桜がみごとに咲くところで、常に静かな境内が心地いい。佛光寺の標語も何かと好感を呼び、話題になって...