30 流通業に四苦八苦

男と着物 - 回想録 -

投稿者:ウエダテツヤ

今もあるソロバン。

​製造と小売の狭間にあるはずの流通は暗黙の了解とスーツのおじさんで溢れ、私にとってこれまで経験した小売や製造とは別世界に思えた。​同時に苦手なことがこんなにもあるのかと思い知った。2008年頃の話である。

人への気遣いが苦手な私は「催事の準備」をスムーズにはできなかった。自分の旅行の準備も苦手である。自分だけではなく、取引先、お客様のための催事の準備に何がいるのか、どう手配すればいいのか、そういう段取りがことごとくできない。だから着物も日頃着ないようなものになると「あれが必要、これが必要」と事前に準備をじっくりしないとよくわからなくなる。とにかく時間がかかる。荷物に適度な入れ物の大きさもわからない。入れようと準備しても箱に入らない。箱に入ったけれど箱が大きすぎる。そんなことばかりで思ったように仕事が進まないこともあった。

また流通には値段が付いていない。ソロバンや電卓片手にごにょごにょ話す。そういう決められていないものについてもバランスのとり方がわからず即座に判断できなかった。だから値段の交渉を全て断り、結果「融通が利かない」と嫌な顔をされたこともあった。​

納品に出かけるとそれぞれの会社は独立したお城であり、大手になるとビル丸ごとその企業で、ゲームに出てくるダンジョンのようだったし、私にはもはやそれだった。仕入れ先用の受付や集荷場のおじさんは慣れない私に不機嫌だったし、どこから入ってどうやって納品する、という企業ごとの決まりに記憶が苦手な私はあたふたした。加えて方向音痴を発揮して慣れない建物で迷うことは日常茶飯事だった。当然ながら案内板や順路のようなものはなかった。

もちろん以前から苦手と自覚していたコミュニケーション能力の欠如についても健在だった。今まで小売店で経験したコミュニケーションとは層が全く違った。プライベートな時間の一般消費者ではなく、勤務中のビジネス顧客に、もはや何を話せばいいのかわからずただ黙って先輩社員に任せていた。

こうしてこの世界で改めて「着物を少し知った素人」になった私にできることを考え、Webについて本を読んでみたり、外注していたDMを自分でつくってみたり、(今はなき)ブログを書いてみたりしながら取引先経由の催事へ販売の手伝いに行ったりしていた。

ちなみに説明・販売の手伝いでは夏場は作務衣、冬は着物が多かった。結局そんな時だけ着たし、無論大島だけしか着なかった。

そんな最中だったと思う。ある日「後継者のいるメーカーで集まってなにかしよう」というお声がけをいただいた。埒が明かなかった自分自身に何か学びがあればと思って参加することにした。(つづく)