続編101 しつこくスーツを持っていた

男と着物 - 回想録 -

投稿者:ウエダテツヤ

100で一旦一区切りした「男と着物-回想録-」。しばらくぶりの投稿になりますがここからは続編として、何かの折に投稿します。今回はようやくスーツをどうにかした、というお話。


2010年頃の私はスーツを着て仕事をし、行事ごと(冠婚葬祭や式など)にもスーツで出掛けていた。その後着物中心の生活となると、それまで毎日のように着ていたスーツは一転して最も着用しない服の一つになったけれど、それまでの習慣からか何となく棄てられずにクローゼットに掛けたままにした。いつか着るかもしれないし、棄てるのも勿体ない思った。そもそもスーツが好きだったことも関係していて、就職して以来私にとっては特別感と馴染みの両方を掛け合わせた唯一の服装だった。今思えばスーツが好きでそれを着て着物の小売りをしていたので、それならスーツ屋さんで働き口を探しても良かったんじゃないか、とは思うけれど。そんなこんなはとりあえず棚上げしておく。

さて、2015年に訪れた「引っ越し」という一大イベントで「これから必要になるのかな?」と感じたことは確かだ。現にある程度処分したのだけれど、それでも何セットか(夏、冬、フォーマルのそれぞれ)は見事再びクローゼットの「掛けておけばいいか」枠を勝ち取った。滅多にスーツを着なくなっても何度かはフォーマルスーツに袖を通していた。

それから子が生まれ、和洋の混在した生活となった私だったけれどスーツだけは着用する機会を失ったままだった。吊るされたままになったそれは、しかし狭いクローゼットの景色に見事に溶け込み、存在感を消していた。私はそのままになっていることに意識すらしなくなっていた。

再びスーツに気付いたのは、「クローゼットを断捨離しよう」と思い立ち、掛けられたネクタイの束に意識が向いたからだった。ずっとそこにあったのに、不思議なもので気付くと途端に邪魔者扱いである。懐かしくなって一瞬断捨離を忘れそうだったけれど、その懐かしさを拭ってみるとただ不要なものを吊るしたままにしている私自身と重なりザラリとした感情に覆われた。無駄な重みに耐えてきたクローゼットのハンガーラックに何となく申し訳なく感じたのは、結局フォーマル以外は10年以上一度も袖を通さなかったからだった。

昔職場の上司にとても整理整頓の上手な人がいた。美しく整理された書類に「なにかコツはありますか?」と聞くと「一年使わないものは廃棄するといいよ」と教えていただいた。実際にはそれを伺った後も「一年では廃棄できない私」のままだったけれど、「不必要」に対する境界線を引くことはいいなと思っていたし、そんな以前の上司に今尚憧れを持っていたりもする。

もちろんスーツは書類とは違うけれど10年以上だ。結果以前の上司のその言葉に背中を押されてようやく処分した。スイッチが入るとあれもこれも必要のないものが目に付くようになる。思うことがあってそのままだったYシャツは黄ばみがあったし、ネクタイもどこか疲れた感じに見えた。

これで間近に迫っていた子の卒園、入学式は着物一択になったのだけれど、当初からスーツを着るつもりはなかったので、特に何も変わったことはない。ぽっかり空くかと思ったスーツのスペースには瞬時に何かが取って代わって埋められ、それはもはや自然なクローゼットとなっている。ちなみに父からもらったフォーマルスーツ一着だけは処分しなかった。いつか着るのか、着れるのか。それは謎である。

その一着を残して私のそばからスーツは消えたのだけれど、ブログで振り返るとやっぱり好きだったスーツに少し思いは残ったままだ。オフィスカジュアルという言葉もあるし、私は着物事業者ではあるけれど、いつかまたスーツを着たいなと思っている。