19 着物の下2 まだ半襦袢風

男と着物 - 回想録 -

投稿者:ウエダテツヤ

2006年3月。小売店を退職した私は大島紬製造を学ぶため奄美大島へ移住した。その時のことはまた追って投稿するが、仕事として着物を着る場合は相変わらず『半襦袢風』を着ていた。

そもそも男着物で長襦袢は衿や袖口などからチラッと見える程度。見た目においてコーディネートのやり甲斐は少ない(見えないオシャレ、とかは自由です)。その反面誤魔化しが利くのでいい加減な私にとっては半襦袢風なものが好都合であった。長襦袢を自分サイズに仕立てると肌着のように安くはないし、自分のコーディネートに対して細かい拘りもなかったので事足りていたのである。

奄美大島の暖かい(暑い)気候的にもできるだけ内側は少なく簡単にしたかったこともある。とはいえ、着用するほとんどが屋内&車移動。屋外で着物を着てウロウロすることなど皆無だったけれど。

一方でいくつかのイベントで長襦袢を着たこともある。もちろん未だ所持するのは一枚きり。いつもと着るもの(着物)が変わるわけではなかったけれど、それでも長襦袢を選んだのは仕事で着ていた半襦袢風とは違って、何となくプライベート感と贅沢感があったからだ。半襦袢風はあくまで「ズボラな私なりの楽な着方」だっただけで気に入っているわけではなかったので、たまには「ちゃんとしています」感(していたかは別にして)が楽しかった。「仕事着」として楽に着る場合と、「おしゃれ着」としていつもと違うちょっと贅沢気分。特に意識はしていなかったけれど、思い返すとそうして実用性と特別感で着分けていたようで、その後の京都生活でも初詣や初出勤などは長襦袢にしていた。

もともとは小売店で仕事着として支給された半襦袢風。結局お別れしたのは支給されたから実に10年後、日常的に着物を着るようになってからだった。その頃までどちらかと言うと除け者扱いだった長襦袢は、日常的に着物を着るようになることですっかり立ち位置が変わっていくのである。

実は未だに持っている初めての襦袢。半襦袢風は断捨離でもう手元にない。