20 着物の下3 長襦袢が楽しかった

男と着物 - 回想録 -

投稿者:ウエダテツヤ

長​襦袢が嫌いな訳ではないのだけれど、半襦袢風ばかり着ていた私。そんな私の中で長襦袢が本当に活躍し始めたのは2011年頃、きっかけは私にとっての大変化である日々着物を着始めた事だった。

仕事着だった時には興味のなかった長襦袢だが、室内&仕事着だった着物が日常着に変わり休日に出掛けたりするようになったことが大きかった。それまで着流し(長着と帯だけ)だったのが、羽織や草履や小物類などの必要性と共に興味がわき、長襦袢もその例外ではなかった。

既に私は当社に在席していたので初めは会社にあるもので仕立ててみたが、そのうちに新しい素材はないかと探してみたり、自社でオリジナルの生地を作ってみたり、とにかく試行錯誤し始めた。

生地だけでなく、例えば付けっぱなしだった半衿の付け替えを自分でやってみた。外見はチラッと見えるだけなので大丈夫だったが、自分的には全然うまくいかなかったし、うまくならなかった。今は上達すること自体を半ば諦めた。私にとっていかに単純であろうと手縫いの壁は高かったし、今でも出来るだけ避けたい作業として君臨している。

また、長襦袢が洗えるといいなと思い、「先染めならいけるのではないか」と正絹を洗ってみたこともある。結局私のやり方、やった生地では全然ダメだった。表地も傷めたし、それ以上に居敷当が縮み過ぎて長襦袢だったものはバルーン状になってしまいとても着られる状態ではなくなった。結果、仕立て直す事になった。

薄めの生地がいいのではと思い、試しに仕立ててみた生地はそこそこ気に入ったけど早々に破れた。一回で裂けたものもあった。

とにかく色々気になり色んな経験をした。襦袢のオシャレへの興味よりも、新しいものへの興味だと思う。新しい経験やチャレンジを通して自分なりの感覚を手に入れていくことが楽しかった。手持ちの半襦袢風のヨレヨレした衿の感じではなくスッキリ着たかったので長襦袢を選んで、それから5年ほどは私にとっての長襦袢全盛期だった。

しかし、半衿が苦手なことは変わらなかったし、袴には膝下からがどうしても無駄に思うし、生地が重なる分量は贅沢な一方で、ちょっと邪魔だった。もちろん今でも長襦袢を着ることはあるし必要なアイテムであることは間違いない。けれども納得できない事もずっとそのままだった。

新しいものを望み続けたが、結局は形が変わらない。そこに飽きてきた。不満も解消されない。もやもやはやがて新しい商品に繋がっていった。襦袢Tシャツの開発である。

気に入ってきていたウールの襦袢。こうして掛けていると真っ黒で大きいのでちょっと不気味だけれども洗えるし暖かいのが魅力。