9 枡屋儀兵衛との対面

男と着物 - 回想録 -

投稿者:ウエダテツヤ

はじめて大島紬をちゃんと見た、凝視したのは実は以前勤めた小売店だった。小さな頃から枡儀には足を踏み入れていたが昔は胴裏屋だったし、大島紬を広く取り扱いメーカー業へ転身していった平成のはじめ、思春期の私は親に用事があって枡儀を訪ねるぐらい。そもそも商品をしっかり見たことはなかった。ただ黒い巻物が沢山あるなとだけ思っていた。

小売店ではいつも縮緬素材の着物を見ていたので初めてまじまじと見た大島紬は今まで思っていた絹とは違い、独特の黒と滑らかな地風が相まって、なんとも言い難い光沢を放っていた。ツルツル、ヒラヒラ。一見不思議なその生地は、説明を聞き、勉強するほど、恐ろしいほどの卓越した技術が詰め込まれていることがわかった。

特に、家業であるから余計に勉強した。裏表がない。織ると柄が出来上がるように、糸に計算され精巧に点がつけられる。学ぶほどに疑問も生まれ、枡儀の社員に聞くこともあった。

凄い。

それまで知ったものとは桁違いのような気がした。一人の職人さんにスポットを当てるような着物も感動があったが、大島紬の分業は一つ一つの工程が非常に専門的で、想像していたものを遥かに超えていた。理解するのに時間がかかったけれど、一度知るとあの人に話そう、この人にも話そう、と知ってほしくなった。

「軽くて着心地がいいのよ」とお客様に教わった。ベテラン販売員さんもそう言う。そうなのかと思ったが、その時はそれより何より絣に感動していた。お店でも大島紬だけは盗難が恐ろしいと、毎日数を数えていた。取り扱いから特別だった。

しばらくした頃に当社の枡屋儀兵衛に出会った。働く小売店に入荷したのである。

当時からモダンなデザインが特徴だった。大島紬への感動に加えて枡屋儀兵衛の柄テイストに私は一気に引き込まれた。もちろん家業という背景もあっての評価だと思う。今のような自社工場はなく、けれど今より生産数(製造は他社)があり様々な機屋の方々が当社の大島紬を手掛けておられた。

それぞれのデザインや技術に個性もあり、とにかくカッコよかった。当時白も藍もなかった。

泥染ばかり。美しかった。

それが本場大島紬 枡屋儀兵衛との初対面だった。