94 ただ街を歩く事が案外楽しかった

男と着物 - 回想録 -

投稿者:ウエダテツヤ

引っ越しは想像以上に着物と私の関係に影響を及ぼした。2015年。それまで住んでいた会社の徒歩圏内のマンションから、少し離れた一軒家へ引っ越した。

会社の徒歩圏内というと、京都の中心地。観光客も含めて人の多い場所だった。自転車通勤のときもあったが、着物生活からそのうち毎日徒歩で通勤するようになった。無意識で歩くとだいたい23分という、そんな距離だった。

そもそも会社から駅やバス停は徒歩3分。路線も豊富なので引っ越しを考える上でいずれの交通機関を利用することにも戸惑いはなかった。結局は30分程度のバス通勤である今の住居に決めた。しかし。

結論をいうと、徒歩というのが着物にとって一番楽しく通勤からそれを失ってしまった事に後々気付いた。同じ道程でも徒歩は街と人とに刺激を受けた。引越しするまでそれを分からず、引っ越し後交通機関を使ってもさほど変わらないだろうと思っていたのだ。

実際バス通勤になり(都会ほどではないにせよ)ぎゅうぎゅうとに箱の中に押し込められる日々になった。楽しむとは真逆でむしろ汚れないかということが心配になった。雨の日などは避けきれない傘が触れることもあり電車よりも狭い気がした。この先付き合わねばならない30分の苦痛なのだとしばらくしてようやく実感した。(何年かしてこうして推敲する時間に充てるという使い道ができた)

もちろん少し先で乗ったり手前で降りたりすれば徒歩の時間はできる。やってみたこともあったけれど、その「わざわざ感」で楽しくなれなかった。場合によっては車で通勤したが、それも着る刺激はない。運転用の靴に履き替えたりして逆に面倒なこともある。そういったことが引っ越すまで全く想像できていなかった。着物倦怠期にあった私にとってそれはさらに何かを損ねていった。

着物を着る動機なのだろう。家で着物を着る方にとっては関係ないのだろうが、自らに課した義務感で着始めた私には外的な刺激が不可欠だった。

プライベートでも徒歩や地下鉄から車に変わり、近所というとスーパーぐらい。何ヶ月かで「どうも楽しくないな」と自覚した。私にとっては「街に出てウロウロする」事が着物の楽しさの重要な要素だったらしく、この時分が一つの過渡期だった。結局それは後の様々によって変わっていくのだけれど、とにかくこれを理解したことが現在の製品づくりにも大きく影響している。

今も私にとって一番楽しい着物の瞬間は歩いている時。式典や会食などでも行き帰りの徒歩が案外一番楽しいように思う。