95 自由でいいじゃないかと思い至る

男と着物 - 回想録 -

投稿者:ウエダテツヤ

混沌とした思考を整理するのは難しい。着物倦怠期に加えて引っ越しなどの環境変化もあった2015年前後、私の中はもやもやと霧がかかっていた。自分の中で着物を着ることに規律を設けてその道を進もうとしたけれど、霧は私を引き止め立ち止まっていた。しばらく晴れなかったけれど、そのうちにふと「自由でいいじゃないか」と思い至りそちらに進み始めた。

きっかけは些細なことだった。自分が設けたちょっとした規律に沿って買ったはずのものが気に入らなかったことだ。「何で?」が自分の中で駆け巡り「気に入らないから自分で作る」に変わった。

自分で作るならこうしようと構想してみたが、これが実につまらなかった。今あるものを修正してみて似たようなものを考えて、それがたとえ自分の規律に沿っていたとしても私にワクワクはなかった。「そういう物じゃない」という思いがいつもどこかに生まれ、結局考えるだけですべて廃案にした。

正直なところ迷いばかりだった。迷って悩んでは来た道に戻る。それを繰り返すうちに「自分を規律にに詰め込んでいるけれど、それは楽しくなくてむしろ私に向いてないのではないか」というところに至った。実に5年ほど着物で過ごしてようやく気付いた事だった。そういう着物との関係はやはり羨ましくあるものの、私の願望ではなかったのは過去に番傘やキセルに思ったことと似ていたのかもしれない。和の王道を自分なりに解釈して取り入れようとしてきたけれど、そもそも自分がそういう人間ではなかったと思い出したように、影響されてきたものが抜け落ちた気がした。

ずっと解放されたかったのだ。それに気付いてから何年か掛けて、背負っていた沢山の「こうすべき」を降ろしていった。降ろすたびに自由にシフトチェンジていく私にはこの後さらに大きな変化が待っていたのだけれどそれはまた後に。

Kimono Factory nono。着物をつくると自ら言っているではないか。今あるもの、今ある流通はもちろんのこと、新しいもの、新しい形、新しい流通。全てが「着物をつくる」ということ。それに気付くのはもう少し先のことだった。