寄稿102 四条大橋を渡れば / 京を歩く

京を歩く寄稿記事-ことばの遊園地-

寄稿者:橋本繁美

若い頃、飲みに行くときは四条大橋までと仲間内では決めていた。もちろん西から東に向いてきた場合。その理由は、橋の向こうは祇園、料金が高いというイメージがあった。今はそんなことはないと思うが、学生時代や社会人のなりたての頃は木屋町までが多かった。もちろん夏場の床などは飛んでもない。庶民的なところで食事し、安い酒を煽っていたものだ。

鴨川沿いに並ぶ等間隔のアベックを眺めながら、寒いのにと思いながら橋を渡ると北側に派出所、南には北京料理の東華菜館がある。どこか懐かしい西洋建築で、館内のレトロなエレベーター(日本最古だそうだ)がタイムスリップさせてくれる。みんなでよく食事したものだ。この北側に、料亭ちもとがある。古い話、建都1200年のとき、黒の羽織袴姿で宴に呼んでもらったところ。席の横にも前にも、著名人ばかりだったが楽しい夜だったことを憶えている。木屋町通の話はまた今度にして、四条繁栄会(四条烏丸から四条大橋西詰まで)を歩く。あ、そうそう友人のデザイン会社が繁栄会の広報誌『四条』を制作していた関係で、若い頃はライターとして取材してよく歩いた。

高瀬川までくると、春の桜風景がよみがえる。この季節は、葉を落として樹々も寒そうだ。ここは『高瀬舟』(森鴎外)の舞台、昔はもっと川幅も水深もあったのだろう。北へ上がれば、かつて立誠小学校があった。今はホテルに生まれ変わっているが、京都アートカウンシルという団体を先輩たちが立ち上げ、高瀬川を使って桜まつりとか、ぼんぼり展などをおこなっていた。私もそのメンバーの一人で、高瀬川に入れるというので喜んで長靴を買って川掃除に参加したものだ。だが、川底には自転車や便座、散髪屋の赤と青のサイン灯など、信じられないものが続出で大ショック。腹が立つので正門前に現代アートと名付けて、みんなで積み上げたりした。そう、川は汚してはいけません。四条通に戻り、東へ歩けば、阪急百貨店があった四条河原町はすぐそこだ。