寄稿124 偉人たちがいた高辻通 / 京を歩く

京を歩く寄稿記事-ことばの遊園地-

寄稿者:橋本繁美

東は鴨川の西から西は梅津まで続く高辻通。昔の資料によると、堀川通の東、醒ケ井あたりが高地のため、高辻通と呼ばれたというらしい。そこには、高辻通の寺町から烏丸間は昭和の初期までは箪笥、鏡台、調度品、漆器などの家具屋街だったが、進取の気勢に富む中京区の家具街夷川に客が流れるようになり、店舗の形態が変わっていった歴史が書かれていた。

個人的には、高辻通といえば河原町通から西のイメージが強い。やはりクルマでの通行規制が影響している。もちろん、自転車に乗ってさらに東までは何度も行ったことがある。高辻通を河原町から歩いてみた。昔からある車修理屋さんを過ぎ、仏具屋のある寺町通を越えてさらに西へ。道に面してはいないが、昔、お世話になった蕎麦製麺の社長、取材に寄せてもらった組紐関係の先生など、いろんな思い出がよみがえってくる。佛光寺のありがたい標語を目にしながら、生きていることのありがたさを感じる。毎年、春には枝垂れ桜が美しい佛光寺の庭。鳩たちも元気だ。

東洞院を渡れば、おなじみのホテル日航プリンセスがある。あの京セラの稲盛さんが日航を再建したことでこのホテルも元気を取り戻した。長い間、LCでお世話になった。毎年、夏になると祇園祭宵山の日和神楽で棒振り囃子を奉納しているホテルでもある。烏丸通を渡れば、京都銀行本店がある。そして室町通、元成徳中学校(かつてあった町内対抗の運動会が懐かしい)、向かいには繁昌神社がある。通称、繁昌の宮、京の弁財天、班女ノ社ともいわれている。その名のとおり、商売繁昌の神さま縁起がいい。何かご利益があるといいのだが。

新町通を越えると、北側に菅大臣神社の南門の鳥居が見える。知り合いのデザインスタジオもすぐ近くだ。神社の境内には今も、お世話になったイラストレーターの木田安彦さんのアトリエ?町家も残されている。もっともっと会いたかったな。大丸北側のマンションに寄せてもらった。展覧会のオープニングといえば、必ず京芸の後輩たちによる阿波踊りがつきものだった。巨匠グラフィックデザイナーの田中一光さんも必ずといっていいほど、東京からいつも駆けつけていた。その場にいるだけでとても幸福だった。

そして、西洞院通を過ぎると、こんどは道元禅師寂の地と称された立派な石標が目を引く。「道元禅師は、正治2年(1200)に京都で生まれ、比叡山で出家の後、建仁寺の栄西の門に入って禅を学び、貞応2年(1223)に入宋した。帰国後、建仁寺に足をとどめたが、その後、深草に興聖寺(後に宇治に映る)を建て、教化活動を続けた。(略)この地で54歳の生涯を閉じた」と記されていた。近くにいながら知らなかった。恥ずかしい。合掌してから、堀川まで歩くと、心地よい汗が流れていた。