寄稿126 京の七口のひとつ荒神口 / 京を歩く

京を歩く寄稿記事-ことばの遊園地-

寄稿者:橋本繁美

荒神口通は、東は川端通から荒神口橋を渡り、西へ京都地方法務局を経て河原町通を渡り、清荒神(護浄院)、鴨沂高校から寺町通まで。鴨川に架かる荒神橋からは五山の送り火のうち「大文字」がよく眺望できる。かつて学生運動が盛んだった頃、立命館大学に向かう京大生らのデモ隊と警官隊の衝突が起きた、世にいう荒神口橋事件が起きた場所でもある。

長さ110メートルの荒神橋は、慶応3年(1867)に架橋された。現在の橋は大正3年10月に竣工したもの。「荒神橋」「こわうしんはし」と深く刻まれた文字に長い歴史を感じる。ここを通り過ぎると、今では法務局のイメージが強いが、私が若かりし頃は、喫茶「しあんくれーる」を思い出す。立命館大学紛争で自殺した高野悦子の『二十歳の原点』にも登場する喫茶店だ。京都府立医大の学生もよく通っていた。もちろん他の学生や社会人もだ。

河原町通を北に少し行くと、京都府立文化芸術会館がある。時たま落語や展覧会で立ち寄るところだ。ここも残念なことに1階の喫茶ルームが消えてしまった。もう一度、荒神口通に戻り、西に進むと南側に清荒神がある。「日本最初清三宝大荒神尊」と刻まれた石標が目に入る。正式には、護淨院常施無畏寺と号し、悪魔降伏の役目をつかさどる三宝荒神を本尊とする。庶民の間では、火の守護神と信仰されており、創建は8世紀に遡る。荒神口の名は、この荒神さんに由来している。その横には、すっかり校舎が建て替わった京都府立鴨沂高等学校がある。寺町通の西には京都御所、この辺は昔も今もいい環境だなと思う。