寄稿98  ときめきの河原町通 / 京を歩く

京を歩く寄稿記事-ことばの遊園地-

寄稿者:橋本繁美

若者が集まる繁華街、四条河原町からスタートした「京を歩く」。河原町通は、北は葵橋西詰から南は十条通までと実に長い。書籍によると、天正18年(1590)前後から大規模に進められた、豊臣秀吉の京都大改造によって開かれた道で、「お土居」の東側に位置し、高瀬川の開削、鴨川新堤の築造によって発達したと書かれている。17世紀の古絵図には、荒神口通から丸太町通まで開通した河原町通と記されており、次第に南下して栄えていったとか。

そんな歴史をもつ河原町通だが、やはり京の街を代表するストリートで、なかでも四条通と三条通が若者たちの賑わいスポットになっている。かつては、少し歩けば次から次へと映画館が立ち並び、新作の映画が封切りと同時に観られた。それだけ映画を観るなら河原町を中心に隣の新京極が定番だった。私の記憶では、長蛇の列ができた映画館といえば、河原町三条を上がったところの朝日会館にあった映画館。「愛とは決して後悔しないこと」で知られる、映画『ある愛の詩』(1971)だった。とにかく河原町通に長い列。誰もがとにかくはやく話題の映画、主演のライアン・オニールとアリ・マッグローを観たかったのだろう。

映画を楽しんだ後は、ゆっくり余韻を楽しみたいもの。当時から、河原町には素敵なお店はいっぱいあった。そういえば、生まれて初めてピザを食べたのも河原町だった。今みたいにピザとかピッツアのチェーン店はなかった。ビールではなく、未成年はコーラーとピザを前に、映画の話をしたものだ。一緒に行った、いい人とね。イタリアやアメリカ、メキシコなど、知らないメニューがどんどん日本に入ってきた時代でもあった。

そういえば、むかし映画館は、のびのび広々とした会場で、入れ替えなどなかったのでゆっくり過ごせたものだ。余談だが、私は映画や音楽、落語など、舞台を見るときは前から〇列目、左から〇番目と自分の定位置を決めている。いちばん観やすく、聴きやすく、感じやすい特等席だと個人的には思う。いずれにせよ、映画はいろんなことを教えてくれる、最高の人生の教科書であることは確かだ。とにかく、映画館に行かなくちゃ。

あの頃から、本屋、映画館に続いて、気になるのはやはり音楽、レコード店だった。フォークやロック、ジャズ、クラシックとジャンルの広さは友人のおかげ。レコード屋に行けば、知らないミュージシャンの曲がいっぱい。気に入った洋盤のジャケットだけで買ったことも多く、当たり外れはあったものの、どの一枚も自分にとっては名盤だと思う。数年前に復帰した愛用のオーディオ(使えたのはヤマハとパイオニアのスピーカーくらい。アンプもチューナー、デッキ、プレヤーもほとんど買い替えた次第)で、レコードに針を落として音楽に酔いしれる。そんな愉しみを教えてくれたのも、河原町通周辺にあったレコード店や楽器店の影響は大である。