75 証明写真を着物にしたけれども

男と着物 - 回想録 -

投稿者:ウエダテツヤ

はじめは勇気のいることでも経験してみると一気に距離が縮まり、積み重ねることで次第に新しい自分をつくることがある。最初はどうかなとドキドキしながら着始める着物も回数を重ねることで「着物を着ている私」が自分の中で確固たる地位を築き、自分だけでなく周りの人にとっても「着物を着ているキャラ」として認識される。着物を着る人が少ないからという相対的な要因も大きいけれど、だからこそ現代では記憶に残る強さになる。

当の私も着物が持つそういった強さが新鮮で楽しかった。着物を着た副産物というのか、着ているだけで凄そう、拘ってそうと思ってもらえる事も多く、実際そんなことはなかったのだけれど、そんな現代の作用にどっぷり浸かって何なら自分が少し特別になれた気までしていたように思う。

実の中身はムキになっているだけだったのだけれど、だからこそ「着物を着ている私」で全て染めたかった。その流れで拘ったのが証明写真だった。

着物を毎日着ているのに写真は洋服で写っていた。それを着物にしたくて免許の更新が待ち遠しかったけれど、それより先にパスポートの写真を撮ることになったので、街角の証明写真コーナーに着物で出掛けていった事を覚えている。
結果的にその後海外旅行も着物で行った(48 着物で海外旅行1 行くまで 他)ので統一感?は出たけれども、正直なところ首から下はほんの少し、衿元しか写らない。何着て撮ろうかな、やっぱり大島やなとか考えて撮った割に面積が小さいなと思った。
免許の更新は確か2012年だったのでパスポートから更に半年以上後のことだった。その時も何着ていこうかなと考えていたように思うけれども実際に行った事が記憶にないのは、やはり報われない衿元の面積といつもながら感じの悪い顔が写っていたからだと思う。誰かに免許を見せることも滅多にないし、たとえ見せても証明代わりで写真に興味も持たれない。どちらかといえば衿元よりその仏頂面にほくそ笑む人の方が多いだろう。自分でも滅多に見ないそれは記憶の彼方へ行ってしまった。
その後意識はしていなくともいつも着物だったので写真は全て着物だったのだけれど、スポーツジムの写真はジムなのにスポーツしなさそうで自分なりの違和感はこの上なかった。(61 ジムとプールの見学は洋服で良かった話)退会したけれどそれが理由ではないぞ。
ちなみにその後の免許更新も着物だったけれど全く記憶にない。今はその拘りもなくなったのでこれからは当日の都合や天候で決めようかなと思う。