79 頭を過るけれど意地になって着ていたこと

男と着物 - 回想録 -

投稿者:ウエダテツヤ

着物が着たい。そこが出発点の方が普通は多いと思う。着てみたい、出来るようになりたいという前向きな思考で素敵なことだと思う。一方私は(75 証明写真を着物にしたけれども)でも少し触れたが悔しくて意地でムキになって着ていた。だからその裏に着物から逃げたくなる気持ちが多少なりともあった。雨が降っているから、今日は大掃除だからと着なくていい理由を無意識で探すのである。その上で意地になることで「こんな時にも着物を着ているぞ」感へと繋がっていく。前回投稿で「振りかざす」と表現したことである。仕事から着物の世界に入った人の中には同じように感じる人もいるかもしれない。「着ないといけないと思っているのですけれどね」「いつも着物で凄いですね」などと言われることもあって、みんなとは違うぞとその時は思っていたが、今考えると着ているかどうかだけの差で、私も同じ「着ないといけない」が心にあった。もちろん事業者なのでそれは必要なのだけれど、「着ないといけない」が着ている大半の動機となってしまっていた。

最終的に生まれる「それでも着ているぞ」感に満たされていた時は着るか着ないかで何かを線引していた。本当は着物を楽しめているかどうかも非常に大切で、けれどそれがわかるまでしばらく時間がかかった。楽しめていると感じていたけれど、そんな時は往々にして周りの人々に楽しませてもらっていただけだった。

78 新たな着物の販売イベントたち2 販売イベント出店とその後
投稿者:ウエダテツヤ イベント、催事、展示会などというと基本的には一つの小売店主催で、販売員さんが付いてしっかり接客する販売会が多かった。そんな業界手法の一方で、着物を気軽に楽みたいという着物ファンの声を形にしようという動きも現れ始めていた...

また着物ライフが確立しつつあったとも前回投稿で申し上げたが、それは意地になって着ることに先導されて獲得した着物ライフだった。意識の中では毎日着ることを苦に感じていなかったはずだったけれど、毎日着ることに対して過剰に理由付けしていたのは何か満足できないものがあったからだと思う。

今は「今日は着物にしようかな」と前向きに着物を選択できるので、逆に着物を着ない理由にも頷けるし、今の方がよほど私のファッションだと言えるけれど、当時の私に今の私が出会ったら理解されないだろう。とにかく完全に着物に囚われ、勝手に自分の意地になったことを振りかざした。

ただし、きっかけを貰い意地で着たから着物に近づけたし、着物をどうしたらいいのだろうと考えられたし、ファッションにすることができたので荒療治ではあるけれど、必要なことだったと思っている。こういう物はどこで買えばいいのだ、こういう時はどうすればいいのだ、あれやこれやと思うことがやってみると沢山あったし、そこを通過していなければ知らないことが沢山あったと今になると思う。そしてそういうものが次のことへと繋がっていたのだけれど、当時の私はその過渡期にあった。固持していたものに疲れてきていた。それはなんだか、格好の良い着物姿ではなかったなと振り返って苦味を覚えるのである。