寄稿113 何かと愉しい三条通 / 京を歩く

京を歩く寄稿記事-ことばの遊園地-

寄稿者:橋本繁美

昔から京都には橋がないといわれる。三条大橋や四条大橋があるのになぜか。その答えは、橋を「ばし」と濁らず「はし」と読むのが正しい。お隣の大阪はほとんどが「ばし」とか。ま、そんな話はさておき、三条大橋(さんじょうおおはし)の手前の川端通から西は西土居通東入ル(教宣寺のまえ)に至る三条通。そこは平安京の東西の主軸をなした三条大路。天正18年(1590)に豊臣秀吉が三条大橋を架橋して、東海道の起点(終点)となり、京の表玄関となった。ここは洛中の入口。西詰めは宿場町の様相を呈していたといわれる。いまでは、加茂川新館がわずかに残るだけだ。三条大橋といえば擬宝珠(ぎぼし)。幕末に新選組の池田屋事件の際、乱闘で橋の擬宝珠についた刀傷がいまも残されている。

東は四ノ宮、西は嵐山渡月橋付近まで続く三条通はとにかく長い。鴨川に架かる橋を渡れば、河川敷に広場があり、その南側に茶色いレトロな建築物の先斗町歌舞練場がある。京都五花街のひとつ「先斗町」。鴨川をどりでも有名なところ。先斗町は飲食店が四条通まで続く歓楽街。あの細い路地が独特の魅力を醸しだしている。その西側の木屋町通に抜ける路地もあり、夜となれば何処からとなく人が集う。高瀬川沿いの木屋町通を下がったところに、かつてBar「幟(のぼり」があった。マスターの石川さんの作ってくれるお酒は最高だった。Barは市内にあちこちあるが、あの店を超える店にあったことがない。

三条通に戻って高瀬川を渡れば、右下に安藤忠雄さんが設計したファッションビル「タイムズⅠ&Ⅱ」がある。高瀬川のウォーターフロントを意図した話題を呼んだ建物だが、残念ながら現在はテナント募集中。かつては北側に大きな映画館があった記憶がある。
賑やかな河原町通を渡ると、河原町名店街振興組合のアーケードに入り、寺町通まで続く。以前は、入ったところに老舗の宝飾店があった。いまはカラオケ屋に変わっている。そして「京仏具吉田源之承老舗」や昨年、綾傘鉾の稚児に出てもらった「大西京扇堂」さんや「十字屋三条店」などがあり、最近ではここも若者向けの店舗が並ぶ。おすすめとしては「福井みやす針」を覗いてみるのもいいと思う。「刃物菊一文字」「喫茶リプトン」「とんかつのかつくら」「そば処田毎」など有名店も多い。ここは新京極通や寺町通につながるメインストリートといえる。最近は、カラス族といわれた修学旅行生が多く見られたが、最近ではグループ行動となっているため、訪れる中高生が少ないといわれる。これは大きな問題だと思う。寺町通には数々のギャラリーが並ぶ。さらに西に行けば、御幸町通の南角に、かつて毎日新聞社があった武田吾一による設計のビル。現在は1928ビルとなり、ギャラリー同時代などが入っている。この辺りを歩いているだけで、昭和時代の若者文化が漂っているように思うのは歳のせいだろうか。

三条大橋 擬宝珠(ぎぼし)