寄稿44 奄美のお盆風景。

奄美探訪記と大島紬寄稿記事-ことばの遊園地-

寄稿者:橋本繁美

最初に奄美大島を訪ねた頃は、つくづく日本が残っていると感じたことが多かった。もちろん今もしっかり残されていると思うが、会う人、会う人が優しくて親切な方ばかりだった。もちろん、上田さんの紹介というか、関係する人だから、いい人ばかりは当然なのかもしれない。なかでも、奄美に着くと必ず通行所のように寄って、お世話になった前田さん宅ほど、いっぱい甘えさせてもらった処はない。

私の記憶が間違っていなければいいが、奄美のお盆は旧暦盆だったと思う。大阪や東京などにいる家族や親戚が、この日のために実家に戻ってきて、ご先祖さまにお参りするという。私たちは、たまたまスキューバダイビングで遊びに行ってたときだ。前田さんのご厚意で、実家に呼んでもらって、一緒に盆行事に参加させてもらった。玄関先には、きらきらと輝く色紙で飾られた笹が目についた。7月7日の七夕のようだ。きっと迷わないでとご先祖さんをお迎えする目印なのだろう。

案内してもらった奥座敷には、奄美のご馳走がずらりと並んでいた。時間的には、ちょうどお昼前だったと思う。久しぶりに前田家の家族や親戚が揃っての団欒。話の花が咲く。笑顔がこぼれる。みんな元気で、幸せな感じが座敷に漂う。こちらは遠慮がちになっていたら、前田さんのお母さんから「目の前のご馳走いっぱい食べないと、墓参りに連れて行かないよ」と言葉が飛んできた。なんだか、うれしかった。美味しいものを次々といただいた(たらふく食べた)。このような光景を見るのは、私が中学生だった頃からか。かつて日本全国で見られた座敷風景。とても懐かしく、美しい時間が流れていた。

それから、みんなで近くにあるお墓まで車を走らせた。奄美の人はどこよりもご先祖さんを大事にするのだろう、お墓は見晴らしの良い高台にあるように思う。前田家の墓もそうだった。墓石の前で合掌し、墓参りを終えようとした時だ。「手を出して」といわれ、両手を差し出すと、なんと黒糖焼酎で清めてくれるのだ。「あっ、もったない」と思うほど、たっぷり両手に注がれた。思わず、呑んでもいいですかと聞いてしまった(笑)先祖の眠る前で、家族や親戚でにぎやかなひととき。きっと、いい供養になったのだろう。とても貴重な体験をさせてもらった秋の一日だった。感謝。

参考:クワズイモ