寄稿53 御寺泉涌寺に行く・天才の定義

京の旬感寄稿記事-ことばの遊園地-

寄稿者:橋本繁美

御寺泉涌寺に行く

ことし最後の祝日となった23日、深まる秋、紅葉を楽しむ人に交じって東山・泉涌寺に出かけた。泉涌寺は東山三十六峰のひとつ、月輪山を背負うようにみごとな伽藍を見せる、皇室ゆかりの「御寺」。楊貴妃観音像が祀られていることでも知られている。目的は、知り合い作家たちがそこで展覧会「未景展」がおこなわれているのを観に行った次第。久しぶりに訪れた泉涌寺は、当たり前だが昔のまんま、変わっていたのは私の体力だけだった(笑)。広い境内に入ると気が引き締まる感じがするのはわたしだけではないはずだ。お堂を参拝しながら、次々と会場を観て歩いた。関西を代表する33人の作家・アーティストが参加しているだけに、見応えのある展覧会だった。会場には梅澤さんと山中さんに会えて、いろいろ案内していただいた。12月5日まで。

帰りには、すぐ近くの今熊野のバス停まで歩き、懐かしき我が母校、大谷高等学校をぐるりと一周してみた。時の流れもあって、正門はそのまんま、登校にお世話になった南門は消えていた。新幹線の上にある広いグランドは、グリーンの映えるサッカー専用になっていて部活の最中だった。学舎はほとんど建て替わり、男女共学となり、半世紀ほどの流れを感じながら一礼して帰路についた。

天才の定義

世の中に、さまざまなジャンルにおいて、天才と呼ばれる人がいる。かつて、天才とは生まれ持った自分の才能の凄さに気づかない人と定義づけた方がいたが、フォークの神さまこと岡林信康さんは、自著『岡林、信康を語る』(ディスク・ユニオン)で以下のように述べている。

本人にもその理由がわからないほど、何かを好きになれることが天からもらった才能、要するに天才じゃないかと思っている。何かをそこまで好きになれる能力。好きになるってことは、努力とは無縁の備わったものでね!それがあればどんな努力でも苦労でも平気でやれてしまうからね。だから天才は努力しないっていうのは嘘で、努力するんですよ。好きだから、普通の人には出来ない苦労に平気で耐えられてしまう。
美空ひばりさんのお母さんに聞いた話だけど、ひばりさんは戦争中、音楽なんかおおっぴらに聴けない頃、押入れのなかに蓄音器と一緒に入って、歌を聴くんだって。これだけ歌が好きなら、この子には何かあるかもしれないってプロにしたらしいよ。歌がうまいからではなく、異常なくらい歌が好きだったからなんだって。(略)
命と引き換えにしてもいいくらい歌が好きなんだな。天性の、持って生まれたものも確かにあるよ。低音から高音まで楽々と出してしまうしね。音域の広さなんて、とんでもないよ。あれほど歌を好きになれる人はいないと思うな。考えられないような努力、稽古をやってたっていうね。とても真似できないよ。

岡林 信康(2011). 岡林、信康を語る DU BOOKS

昔から「好きこそものの上手なれ」といわれるが、中途半端な気持ちではなく、とことん本気で好きにならなければ、ものにできないってことは確かだ。決して人には見せない、並大抵以上の努力と稽古があり、そこから生まれた能力を「天からもらった才能」としているのが凄い、素晴らしい。私には無縁の話だが(笑)